パブ・ロック・ガイド
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当サイトは1970年代ロンドンでパンク発生のきっかけとなった
パブ・ロックを紹介しています。

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パブ・ロック史3部作 前編

1970年代前半のパブ・ロックといわれるバンドが出てきた時代

パブ・ロックの歴史を語るときに
中心となるバンドはやはりブリンズリー・シュウォーツでしょう。


そしてそのはじまりは、
例の「フィルモア・ハイプ」とよばれる大失敗劇。


その失敗による借金返済のためのドサまわりが、
パブ・ロック史のスタートである。


パブ・ロック・バンドがパブを中心とした地道なライヴ活動をしていたのは、
よく言われるように、ビッグ・ビジネスとなったロックに対する反発
・・・とか、実際はそんなカッコイーもんじゃぁありません。


パブ・ロックの代表バンド、ブリンズリーズだって最初は、
ビッグ・バンドになるべくアメリカに上陸したんすからね。



そのブリンズリーズのアメリカ・デヴュー・ライヴに
イギリスのジャーナリストをニューヨークに招待するため、
専用飛行機にリムジン、そしてホテルをおさえるなどの、
無謀な先行投資によって生まれた借金を返済するには、
地道にライヴで稼ぐしか道が無かったのだ。


人気が無ければレコードは売れないし、
もちろんデカいホールでのライヴでは人が集まるわけがない。


周辺のパブでのライヴで、ちまちまと小銭を稼ぐしか、
生き延びる道が無かったブリンズリーズなのだった。




その活動のヒントとなったのがアメリカのバンドで、
元アニマルズのチャス・チャンドラーと契約し
1971年にレコーディングのためにイギリスに来ていた、
エッグス・オーヴァー・イージーというバンド。


そのレコーディングの合間に、ギャラはビールという条件で、
元々はジャズのライヴをやっていたタリー・ホーというパブで、
空きのあった月曜日にロックのライヴをやったら盛況だったそうな。


ブリンズリーズのメンバーもそんなエッグスのライヴを見て影響を受け、
ロックをプレイできるパブを開拓しライヴを活発化。


そして、パブでプレイして受け入れられるには、
踊れて酔わせてくれるようなシンプルなサウンドがベスト。


もちろんブリンズリーズのサウンドも、
ポップでノリのよいサウンドに変化していった。


そんな70年代前半に人気があったバンドといえば、Tレックス。
グラム・ロックなるギラギラなムーヴメントで、
簡素なパブ・ロックとはホント対称的。
(Tレックスのサウンドそのものは簡素だけどね)


売れないバンドなんていつの時代にもいるけれど、
そんなブリンズリーズの活動ならなんとかなりそう・・・と、
いくつかのバンドも、パブでのライヴをはじめだした。



ビーズ・メイク・ハニー、ヘルプ・ユアセルフ、
チリ・ウィリ&ザ・レッド・ホット・ペッパーズ、ダックス・デラックス、
・・・といったトコがこの頃の主なバンド。


音楽性はそれぞれ違うけれど、
小さなパブでできることは限られているから、
シンプルなカントリーかロック、ブルース/R&Bをベースにしたサウンド。


アメリカのバンド、ザ・バンドあたりが共通のお気に入りの音だったらしい。

そんなパブを中心に活動するバンドは、
いつしかパブ・ロックと呼ばれるようになったそうな。

そんなパブでのライヴがなんとなく盛り上がってきたところに、
全英ナンバー・ワン・ヒットを持つ男、デイヴ・エドモンズが登場。


先のヘルプ・ユアセルフやらとパブ・セッションを行っていたり、
ニック・ロウのいるブリンズリーズのアルバムをプロデュース、
ともにツアーをするなどしてパブ・ロック・シーンに合流。


それなりにスター性のあるアーティストが出てきて、
やっぱりウズウズしてくるのが懲りない男、
ブリンズリーズのマネージャーであり、「フィルモア・ハイプ」の仕掛け人、
デイヴ・ロビンソン。


さらにロックをプレイできるパブを探し、
後にパブ・ロック・バンドの拠点パブとなる、
「ホープ&アンカー」にブリンズリーズを出演させたり、
そのパブの2階に録音スタジオをオープンさせたりなんかして、
ロンドンでそれなりの基盤を作り出した。


そして、そのロンドン・パブ・ロック・シーンにとてつもないバンドが登場、
一気に話題をかっさらっていった。


中編に続く



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