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パブ・ロック史3部作 中編
1970年代中ごろの小さなムーヴメント発生期
徐々に盛り上がってきた1970年代中ごろのロンドンのパブ・シーンに、
ロンドンの西にある炭鉱町、キャンベイ・アイランドから
とてつもないバンドが登場してきた。
そのバンドの名はドクター・フィールグッド。
これまでどこかノンビリとしていたパブ・ロックのサウンドと違って、
フィールグッズは60年代のブリティッシュ・ビートを思わせる
R&Bビート・ベースの贅肉をそぎ落としまくったサウンドだった。
そしてそのライヴでは、
仁王立ちのリー・ブリロー、走り飛び跳ねるウィルコ・ジョンソンを中心に
ヒリヒリするような凄まじいステージを見せ、
ロンドンのパブに登場するや、一気に注目を浴びた。
そんな中、パブ・ロック界のおさがわせ男、デイヴ・ロビンソンに加えて、
もう一人の重要人物、アンドルー・ジェイクマンが登場。
後にジェイク・リヴィエラと名乗る男である。
チリ・ウィリ&ザ・レッド・ホット・ペッパーズの
マネージャーをしていたジェイクマンが、
パブ・ロック・バンドを集めて、パブや小さなホールをまわるツアーを企画。
ノーティー・リズムズ・ツアーと名づけられたそれに参加したバンドは、
チリ・ウィリに加えて、ココモというファンキーなバンド。
そしてドクター・フィールグッドが参加。
ノーティー・リズムズ・ツアーでのバンドの出演順は、
毎回違うように設定されていたらしいけれど、
ドクター・フィールグッドに話題が集中。
その人気は一気にイギリス中に加速していったそうな。
後にジャムを結成するポール・ウェラーも、
ドクター・フィールグッドにやられちゃったその一人で、
ギターリストであるウィルコ・ジョンソンをコピーしまくったらしい。
そして、同郷のフィールグッズに影響されたかのようなビート・サウンドを
よりストレートにプレイするバンド、エディ&ホットロッズも
キャンベイ・アイランドからロンドンに進出。
ホットロッズの初期にはルー・ルイスという、
恐るべしハーピストも在籍していた。
さらにパブ・ロック・バイブル本「パブ・ロック革命」の著者ウィル・バーチがいた
カーザル・フライヤーズもキャンベイ・アイランド出身。
このキャンベイ・アイランドは、ロンドンを流れるテムズ川の河口付近の町で、
その近隣のサウスエンド・オン・シーとともに
ビート系パブ・ロック・バンドの宝庫、影の聖地だったりします。
後にスティッフでソロ・アルバムを出す
影のパブ・ロック大番長、ミッキー・ジャップもその地の出身なのだ。
一方、学校で美術の先生をやっていたというイアン・デューリー。
なんと自分の生徒達を集めて、
キルバーン&ザ・ハイローズというバンドを結成。
その超個性的なごちゃまぜファンク・サウンドが人気で、
ザ・フーの前座をするまでになっていた。
元祖パブ・ロック・バンドであるブリンズリー・シュウォーツも
この頃にはかなりの人気で、
ポール・マッカートニー&ザ・ウィングスの前座をやっていたりもする。
さらにカウント・ビショップスなんてガレージっぽいバンドや、
ジョー・ストラマーのいたワン・オー・ワンナーズなんてバンドなど
より荒っぽいスピード感のある新たなバンドも次々と登場してきた。
こう盛り上がってくる中、チリ・ウィリ解散後に
フィールグッズのツアー・マネージャーをやっていたジェイクマンが、
リー・ブリローのポケット・マネーで独自のレコード・レーベルを立ち上げた。
その名も「スティッフ」。
もちろんこの動きにはあのデイヴ・ロビンソンもからむことになる。
そして元祖パブ・ロックバンドであるブリンズリー・シュウォーツが
先に行き詰まって解散した後、
ソロ・アーティストとして出発していたニック・ロウのシングルが、
そのレーベルの第1弾として1976年8月にリリースされた。
さらにスティッフは翌1977年、
史上初のパンク・ロック・レコードを発売することになるのだ。
⇒ 後編に続く